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人の話が頭に入らないのはなぜ?原因は?

人の話が頭に入らないのはなぜ?原因は?
簡単である。自分には自分の考え方、これまで生きてきた道のりがある。
他人の話が頭に入らないのも自然なことではないだろうか。
十人十色という言葉がある。
人にはそれぞれの思う事、感じ方が人によって異なる。
だから相手の話に興味すら持たない人もいるだろう。
しかし話している相手にも頭に入るか入らないかも決まってくるのではないだろうか。
例えば大切な恋人や家族、友人の話となれば自然と聞く体勢になる。
なぜなら自分自身の話も聞いてほしいと思うからである。
自分が話している時にどうでもいい態度を取られたら不快である。
だから自分と深い関わりのある人たちの話は聞くし、聞いてほしい。
相手が真剣に話をした時に真剣に聞く。
自分が真剣に話をした時に、相手にも真剣に聞いてほしいからだ。
つまり共感だ。
共感をしてもらいたい。
共感をし自分の考え方や思っている事は正しいのか安心したいのだ。
人は一人が嫌いだし、孤独を感じたくない生き物である。
だからその関係を大切にするためにも自分と関わりのある人の話は頭に残るのではないだ
ろうか。
その為には聞こうとする姿勢が出来る。
だが一方で会社の人や近所で噂になっていることというのは、すぐ頭には残らないのでは
ないだろか。
それは当然である。
自分の人生に関係のない事が多いからである。
人は誰からもよく思われたい生き物である。
ただ、残念ながらその話をしている人が自分との関わりが少なく、関係が浅いのであれば
その話は頭に入らないだろう。
人が話していれば頷き、相手に自分は話を聞いていますという意思表示をする。
人間はよくできた生き物である。
例え、人が話している間にあいづちを打ったとしても、その間に自分なら「こういう風に
するけどなぁ。」
と自分の意見で書き換えたり、また本当にどうでもいい相手の話なら、頭の中で「明日の
予定はなんだったかな?」などと話すら聞いていないこともあるだろう。
仕方のないことである。
それはそうだ。
関係のない人や話だからだ。
どこかの芸能人が結婚するニュースと同じである。
その芸能人が結婚しようが自分にはなんの関係もないからである。
だからその話はすぐ忘れるし、どうでもいいのである。
人の話を頭に入れたいのであれば、それなりの関係性を作らなくていけない。
相思相愛という言葉もある。
この関係になれば相手に自分の話を頭に入れることはそう難しくはないだろう。
相手を裏切りたくはないし、裏切られたくない。
だから相手を大切にする。
人間の最大の意志の疎通はあいづちではない。
会話である。
簡単でお金がかかることもない。
だからこそ大切にしないのもこの話、つまり言葉なのかもしれない。
相手を傷つけることも簡単である。
傷ついたことのない人はいないのではないだろうか。
でも相手からの大切な話で元気をもえらる人もいるのではないだろうか。
人は話をして楽しんだり、共に喜ぶ事が出来る。
でも傷つきそうな話は聞きたくないから、耳に蓋をする。
本来であれば人間は人の話を頭に入れたい生き物なのだろう。
でも入れたくない話も世の中には沢山ある。
入れてしまえば傷つくからである。
だから人を選ぶ。
この人の話なら頭に入れていいのか。
それともこの人の話は流すのかと。
無意識にもしていることではないだろか。
損得ではないが相手と付き合うというのは自分にメリットがあるのかいうことも無意識に
判断をしているのではないだろか。
つまり人は相手から得れるものがあるからその人と付き合っているのではないだろうか。
そして相手も自分から得れるものがあると判断をするから付き合っているのだろう。
相手を尊重し、自分も尊重してもらう関係ができていれば、人の話を頭に入れることは可
能だろう。

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